チャチューンサオ

โกโกโกโก…

チャチューンサオ——霊験と巨神の『八条川』の県

ฉะเชิงเทราchà-chəəng-sao

チャチューンサオ——霊験と巨神の『八条川』の県

バンコクを東へ出てまもなく、旅人は信仰が『物理的な質量』を持つ土地に足を踏み入れる。ゴゴゴ……と、空気そのものが濃く重くなっていくのを、肌で感じるはずだ。

ฉะเชิงเทรา(chà-chəəng-sao)——チャチューンサオ。人はこれを古い名で『ペートリウ(八条の川)』とも呼ぶ。バーンパコン川がこの平野を八筋に分けて悠然と流れることに由来する名だ。首都圏の喧騒からわずか一時間、車を走らせればもう着いてしまう距離。だがここには、都会がとうに忘れ去った濃密な信仰の空気が満ちている。川と、仏と、巨神——この三つが渦を巻く土地こそ、東部の冒険の入り口なのだッ!

この地の『魅力』——霊験と巨神の競演

この県の心臓は、バーンパコン川のほとりに建つ『ワット・ソートーン』にある。安置される仏『ルアンポー・ソートーン』は、タイ全土から巡礼者を集める霊験の仏だ。願いを叶えるとされるその御前には、感謝の卵を捧げる人々が絶えない。一日に何万個もの生卵が積み上げられるという、他に類を見ない光景がそこには広がっている。ゆで卵の湯気と線香の煙が混じり合い、参道はいつも人いきれで熱く、供物を売る屋台の声が響き渡る。願いが成就した者は、また卵を抱えてここへ戻ってくる——そうして信仰の輪は、途切れることなく回り続けるのだッ!

そして近年、チャチューンサオを一躍有名にしたのが、巨大な神像の数々だ。ある寺には体を横たえた高さ数十メートルのピンク色の神像が鎮座し、また別の寺には青銅の巨神がそびえ立つ。写真映えを求める若者から、真剣に加護を願う商人まで、実に多様な人々がその足元に集まってくる。信仰が、これほどまでに大胆で色鮮やかな『形』を取る——その自由さと迫力に、訪れる者は圧倒される。信じる(เชื่อ / chɯ̂a / 信じる)という行為が、ここでは目に見える巨体となって立ち現れるのだ。

寺々は川に沿って点在しているため、地元では小舟をチャーターして水路から巡拝する参り方も好まれる。舳先で線香を掲げ、川風を受けながら次の寺へ向かう——その道行きそのものが、ひとつの祈りの儀式なのだ。

この土地の人々は、護符やお守りにも篤い信を寄せる。高名な僧が念を込めた小さな仏牌を首から下げ、日々の無事を願う——その姿は、チャチューンサオでは特別なことではなく、ごく当たり前の日常の一部だ。目に見えぬ力を、身近な品に宿らせて携える。信仰が生活の隅々にまで溶け込んでいることが、この一事からもよく分かる。

食——胃袋の戦い

八条の川が育むこの地は、川魚と果実の宝庫だ。名物はマンゴー。黄金に熟したそれを、もち米とココナッツミルクで食す『カオニャオ・マムアン』は、南国の甘美そのものだ。市場に積まれた果実の山を前にすれば、マンゴー(มะม่วง / má-mûang / マンゴー)という一語を覚えるだけで、買い物が一気に楽しくなる。旬の時期には、県じゅうの屋台がこの黄金の果実で埋め尽くされる。

川沿いには百年続く木造の市場『バーンマイ市場』が今も息づき、麺料理や川エビの炭火焼きが湯気を上げる。ジュウジュウと脂の弾ける音、店主の呼び込みの声、狭い板張りの通路を行き交う人の波——バンコクから日帰りで訪れる人々が、ここで昔ながらのタイの味を求めて舌鼓を打つ。川エビ(กุ้ง / kûng / エビ)を殻ごと炭火で焼き、辛いタレにくぐらせて頬張れば、飾らぬ川辺の一皿が、都会の高級店より雄弁に『本物』を語る。

甘味も見逃せない。蓮の実を煮た菓子や、ココナッツをたっぷり使った素朴な焼き菓子は、参拝帰りの手土産の定番だ。川魚を発酵させた保存食もまた、この土地の記憶を舌に刻む味であり、飾らぬがゆえに深く胃袋へ染み込んでいく。

週末には水上市場も賑わい、小舟に積まれた麺や汁物、揚げ菓子が次々と売られていく。売り手と買い手が川面越しに交わす声、櫂が水を掻く音——胃袋を満たしながら、この地の暮らしのリズムそのものを味わえるのだ。腹が減ったなら、迷わず舟の群れへ飛び込め。値は驚くほど安く、しかも味は本物。観光ずれしていない素朴さこそが、この市場の何よりのごちそうなのだ。

文化——受け継がれし川の信仰

八条の川は、この地の暮らしと信仰の背骨だ。乾季の夜には、バーンクラ地区の川辺に無数の蛍が舞い、木々を電飾のように明滅させる。チカチカと点滅するその幻想的な光景は、自然そのものが捧げる祈りのようだ。小舟に乗って静かに川面をゆけば、闇の中で光の粒がいっせいに呼吸するのを見られる。都会では決して味わえぬ、原初の夜の記憶だ。蛍は水が清らかな証でもあり、地元の人々はこの光の乱舞を、川が健やかである誇りとして守り続けている。

ワット・ソートーンでは年に三度、盛大な祭礼が営まれ、仏を讃える人々で町があふれる。都に近くとも、チャチューンサオは信仰の熱をいささかも失っていない。川と、仏と、巨神——この地の文化は、目に見えぬものへの畏敬を、あえて壮大な形で表現し続けている。祭り(งาน / ngaan / 祭り・催し)の日には、県全体がひとつの巨大な祈りの器と化す。露店が立ち並び、伝統芸能が舞い、夜通し灯明が揺れる。その熱気の中に身を置けば、旅人もまた、この土地の祈りの一部になっていく。

生活——この地で暮らすということ

チャチューンサオは、いま静かな変貌の只中にある。この県は、タイ政府が国家の未来を賭ける『東部経済回廊(EEC)』の一角を担うのだ。工業団地が拡がり、新たな鉄道と道路が敷かれ、世界中から投資が流れ込んでいる。バンコクへの通勤圏として、住宅地もじわじわと増え続けている。

だが不思議なことに、開発の波は信仰の町の魂を薄めてはいない。工場で働く人々も、休日にはワット・ソートーンに参り、卵を捧げる。伝統(ประเพณี / prà-phee-nii / 伝統・慣習)と発展が、この地では奇妙な調和を保っている。未来へ疾走しながら、なお祖先の祈りを手放さない——それがチャチューンサオの生き方だ。朝は工場のサイレンで始まり、夕は寺の鐘で終わる。そんな新旧の時間が、ひとつの町の中で違和感なく重なり合っているのだ。

田園に目を移せば、稲田と養殖池が地平まで続き、川の恵みで生きる人々の暮らしが今も変わらず続いている。近代と伝統、その両輪で走るこの県の姿は、これからのタイそのものの縮図と言えるだろう。

旅の心得

チャチューンサオは、バンコクからの日帰りで侮ってはならぬ県だ。

ワット・ソートーンで卵を捧げ、巨神の足元でその大きさに息を呑み、川辺で蛍の乱舞を待つ。信仰がこれほど鮮やかで大胆な形を取る土地は、そう多くない。移動は鉄道でものんびり味わえるが、点在する寺々を効率よく巡るなら、車を一日雇うのが賢明だ。日帰りも可能だが、蛍を見るなら一泊して夜を待て。東部の冒険の入り口で、まずはこの『八条の川』の霊気に、たっぷりと身を浸すがいい。宿は県都に手頃なものが揃い、食事も市場で安く済ませられる。財布に優しく、それでいて心には濃密な体験を残す——そんな贅沢が、この県にはある。旅の運気は、ここで確かに上向くだろう。ゴゴゴ——その確かな手応えを、けっして忘れるな。