マハーサーラカーム——イサーンのへそに宿る『学問の都』
ゴゴゴ……イサーンの広大な赤土の大地。その、ちょうど真ん中に位置する県がある。มหาสารคาม/マハーサーラカーム(má-hǎa-sǎa-rá-khaam)——地元の人々は誇りを込めて、この地を「イサーンのへそ(サドゥー・イサーン)」と呼ぶ。東北タイの地理的中心に鎮座する、まさに大地の中核なのだ。
だがこの県が真に知られるのは、その位置ゆえではない。ここは『学問の都』——古代インドの学問の都タキシラになぞらえ、「イサーンのタキシラ」と称される、東北タイ随一の教育の中心地なのだッ! 大学のキャンパスが街を彩り、イサーン中から集まった若者たちの熱気が、この地に絶えず新しい風を吹き込んでいる。
この地の『魅力』
マハーサーラカームの街は、若い。**มหาวิทยาลัย/má-hǎa-wít-thá-yaa-lai(マハーウィッタヤーライ=大学)**を核に、無数の学生たちが行き交う学園都市だ。カフェ、書店、安食堂、下宿——街のあらゆる場所に、若さと知性のエネルギーが満ちている。イサーンの他の県が農と伝統の色を濃くする中、この地だけは独特の「学びの香り」を放っているのだ。
だが、この地の魂は決して新しいだけではない。ナードゥーン郡には、プラ・タート・ナードゥーンがそびえる。「イサーンの仏教公園」とも称されるこの白亜の仏塔は、この地がはるか古代、ドヴァーラヴァティー文明の栄えた古都チャンパーシー(ナコーンチャンパーシー)であったことを今に伝える聖地だ。ここで発掘された古代の遺物は、この大地に千数百年の信仰の記憶が眠っていることを物語る。
さらにコースムピサイ郡の森林公園には、野生の猿たちが群れをなして暮らす。人と猿が共存するこの緑地は、都市の喧騒を忘れさせる憩いの場だ。木々を渡り、参拝客に手を差し出す猿たちの姿は、この地の人々が古くから自然と分かち合ってきた優しさの象徴でもある。学問、古代、自然——この三つの顔が、マハーサーラカームの奥行きを形づくっている。
そして「イサーンのへそ」を記念するモニュメントもまた、この地の誇りだ。東北タイの地理的中心を示すこの標は、一見ささやかだが、イサーンという広大な地方の重心がここにあるという事実を静かに主張している。旅人よ、あなたが今立っているのは、イサーンのど真ん中なのだ。ゴゴゴ、そう思えば、足の裏から大地の鼓動が伝わってくるようではないかッ!
食——胃袋の戦い
学生の街だけあって、マハーサーラカームの食は安く、熱く、そして生粋のイサーンだ。若者たちの胃袋を満たす食堂街には、わずかな小銭で腹一杯になれる庶民の味がひしめいている。
ここでも王座に君臨するのはソムタムだ。青パパイヤを臼で搗き、唐辛子とライム、そして発酵魚プラーラーを効かせたこの一皿は、辛さと酸味と旨味の三位一体。搗く杵の音「タン、タン」が路地に響けば、それはこの街の食欲を告げる号砲だ。学生たちは講義の合間に、この激辛の一皿で汗を流し、また机に向かう。そして相棒はもちろん、蒸したてのข้าวเหนียว/khâao-nǐao(カオニャオ=もち米)。手で丸めて頬張るこのもち米こそ、イサーンの民の生命の糧である。
炭火で炙ったガイヤーン(焼き鳥)、挽き肉と香草を和えたラープ、辛いタレのジェオ——これらを囲んで、学生も教員も労働者も、身分の別なく食卓を共にする。安くとも、そこには確かな幸福がある。屋台で「アロイ(うまい)」と笑い合う——それがこの街の日常の風景だ。
学生街ならではの光景もある。深夜まで灯る食堂で、試験前の学生たちがもち米を頬張りながら参考書を広げ、仲間と議論を交わす。腹が満ちれば頭も回る。安いソムタム一皿が、この街の若者たちの夢と学びを、地の底から支えているのだ。飾らぬ屋台飯こそ、学問の都の隠れた立役者なのである。
文化——受け継がれし魂
マハーサーラカームは、イサーン文化の『研究と継承の拠点』でもある。この地の大学では、イサーンの言葉、音楽、民話、織物が学問として研究され、次の世代へと受け継がれている。消えゆく伝統を、記録し、守り、育てる——それは、学問の都だけが果たせる大切な役割だ。
そしてこの地もまた、絹と手仕事の郷である。村々では女たちが機を織り、男たちは竹を編んで籠や道具をこしらえる。素朴だが精緻なこれらの手仕事は、暮らしの中から生まれた美そのものだ。**ผ้าไหม/phâa-mǎi(パーマイ=絹布)**の一枚一枚には、家々の歴史と、母から娘へと受け継がれた祈りが織り込まれている。学問の街でありながら、その足元には変わらぬ農村の手仕事が息づいている——この重なりこそ、マハーサーラカームの厚みなのだ。
イサーンの魂といえば、やはりモーラム。ケーンの哀愁ある音色に乗せ、イサーン語で人生を歌い上げるこの伝統芸能は、この地の大学でも熱心に研究され、若い演者たちによって新たな命を吹き込まれている。古き調べが、学びの街で未来へと橋渡しされているのだ。記録され、分析され、そしてまた歌われる——学問と伝統が手を取り合うこの営みこそ、マハーサーラカームならではの文化の姿だ。ゴゴゴ、文化は死なず、若き手によって受け継がれていくッ!
生活——この地で暮らすということ
マハーサーラカームに暮らすとは、二つの時間が交差する場所で生きることだ。一方には、イサーン中から集まった若者たちの躍動する時間がある。彼らはここで学び、恋をし、夢を語り、やがて故郷やバンコクへと巣立っていく。
もう一方には、変わらぬ農村の時間が流れている。街を一歩出れば、そこには水田が広がり、水牛が草を食み、村人がもち米を育てる、太古から変わらぬイサーンの暮らしがある。**นักศึกษา/nák-sʉ̀k-sǎa(ナックスクサー=学生)**の若い活気と、農村の悠久のリズム。この二つが矛盾なく共存しているところに、この県の稀有な魅力がある。
学生たちは卒業すれば去っていく。だが、また新しい世代がやってくる。この街は、絶えず入れ替わる若者たちを受け止めながら、イサーンの知性を育て続ける『大地の学び舎』なのだ。ここで学んだ者たちは、やがてイサーン各地の学校や役所、病院で働き、この地方の未来を担っていく。マハーサーラカームで灯された知の火は、若者たちとともにイサーン全土へと広がっていくのだ。一つの街が、地方全体の頭脳となる——これほど誇り高い役割が、他にあろうか。
旅の心得
マハーサーラカームは、絶景や名物で旅人を誘う県ではないかもしれぬ。だが断るッ! ここを退屈な学園都市と侮ることは、断固として断る。
古都ナードゥーンの仏塔に立ち、千年の信仰に触れよ。森の猿たちと戯れ、学生街の安食堂でソムタムに涙を流せ。そして「イサーンのへそ」に立ち、この地方の中心に自分がいることを噛みしめよ。さらに夜の学生街を歩き、若者たちの熱気を肌で感じるがいい。イサーンの真ん中で、過去と未来が交差する——その独特の空気を味わったとき、あなたはこの地方の『知の鼓動』を確かに感じ取るだろう。学問とは、この乾いた大地が育てたもう一つの実りなのだ。ゴゴゴ……へその緒で結ばれた大地から、次の県へ、冒険はさらに続いていく。
