ローイエット

โกโกโกโก…

ローイエット——天を仰ぐ『百一の巨仏』

ร้อยเอ็ดrɔ́ɔi-èt

ローイエット——天を仰ぐ『百一の巨仏』

ゴゴゴゴ……イサーンの平野に、一体の巨大な仏が天を指してそびえ立っている。歩き出しそうなその立ち姿は、はるか遠くからでも見える。ここが、ร้อยเอ็ด/ローイエット(rɔ́ɔi-èt)だ。その名は数字の「百一(101)」を意味する。

なぜ「百一」なのか。伝説によれば、かつてこの地に栄えた古都には十一の城門があったという。だが後世、その栄華を誇張して「百一の城門があった」と語り継がれ、それがそのまま県の名となった——つまりこの名には、この地がかつて途方もなく栄えた大都であったという『誇りの記憶』が刻まれているのだ。侮ることなかれ、ここは古の栄光を背負う地なのだッ!

この地の『魅力』

ローイエットの象徴、それはプラ・チャオ・ヤイ——空を衝く巨大な立仏である。丘の上にそびえるこの黄金の仏像は、高さ数十メートルに及び、タイでも屈指の巨大立仏として知られる。その足元に立ち、はるか頭上を見上げれば、首が痛くなるほどだ。仏の胎内は階層になっており、内部を登りながら参拝できる。天を指すその姿は、まるで人々の祈りを天へと届ける『巨大な導き手』のようだ。

そして街の中心には、ブンプラーンチャイという美しい湖が広がる。その中央に浮かぶ島には白亜の楼閣が建ち、橋で結ばれている。夕暮れ、湖面が茜色に染まる頃、島の楼閣がシルエットとなって浮かび上がる様は、街の喧騒を忘れさせる絶景だ。市民たちは夕涼みにこの湖畔を歩き、屋台で軽食をつまむ。巨仏の荘厳と、湖畔の憩い——この対比こそローイエットの魅力である。

この湖のほとりには、記念の塔や公園も整えられ、休日には家族連れで賑わう。ボートを漕ぐ者、木陰で語らう者、湖を眺めながら物思いにふける者——ここには、都会にはない穏やかな時間が流れている。イサーンの県庁所在地の多くがそうであるように、ローイエットもまた、水辺を街の心臓に据えて発展してきた。水は恵みであり、憩いであり、そして人々を結ぶ場なのだ。派手さはないが、この街には確かな品格がある。古都の誇りが、街全体に静かな落ち着きを与えているのだ。

食——胃袋の戦い

ローイエットの食もまた、生粋のイサーンだ。この地で喰らうべきは、まずソムタム。青パパイヤを臼で搗き、唐辛子、ライム、そして発酵魚プラーラーを効かせたこの一皿は、辛さと酸味が舌を撃ち抜く『イサーンの魂』。汗と涙を流しながら、それでも手が止まらぬ中毒の味だ。

そして相棒はもちろん、蒸したてのข้าวเหนียว/khâao-nǐao(カオニャオ=もち米)。手で丸めて頬張るこのもち米こそ、イサーンの民の主食にして生命の糧である。皿もフォークもいらぬ。手が食器であり、もち米が戦友なのだ。

炭火で炙ったガイヤーン(焼き鳥)を、辛いタレにつけて喰らう。炭火の上で脂を滴らせながら黄金色に焼き上がる鶏の香ばしさは、通りすがりの者の足すら止めてしまう。อร่อย/à-rɔ̀i(アロイ=おいしい)——この一語を叫びたくなる旨さが、屋台には溢れている。

イサーンの食は、決して豊かな大地から生まれたわけではない。乾季には干上がり、雨季には水浸しになるこの厳しい土地で、人々は限られた恵みを発酵と唐辛子の知恵で極上の味へと変えてきた。プラーラーの強烈な香り、目の眩むような辛さ、もち米の素朴な甘み——それらはすべて、逞しく生き抜くための知恵の結晶なのだ。一皿のソムタムの背後には、幾世代もの生活の歴史が込められている。それを噛みしめながら喰らえば、味わいはさらに深まるだろう。

文化——受け継がれし魂

ローイエットは、古き栄華の記憶を抱く地だ。「百一の城門」の伝説が示すように、この地はイサーンの歴史において重要な都であった。その誇りは、今も人々の心の底に流れている。

そしてこの地の空気を震わせるのが、モーラムの音楽だ。ローイエットは、イサーンの伝統芸能モーラムの一大本場として知られる。ケーン(竹笛)の哀愁ある音色に乗せ、イサーン語で人生の喜怒哀楽を即興で歌い上げるこの芸能は、この地の人々の魂そのものだ。**หมอลำ/mɔ̌ɔ-lam(モーラム)**の名手をこの地は数多く生み出してきた。祭りの夜、その節回しが響けば、老いも若きも自然と体が揺れ出す。哀しくも力強いその調べには、乾いた大地を生き抜くイサーンの民の逞しさが込められている。

村々では女たちが絹を織り、祭りには伝統の衣装を纏って踊る。**ผ้าไหม/phâa-mǎi(パーマイ=絹布)**の一枚一枚には、家々の歴史と女たちの祈りが織り込まれている。古都の誇り、モーラムの調べ、絹の美——それらが幾層にも重なって、この地の文化の厚みを形づくっているのだ。

そしてこの地では、仏教の祭事が今も暮らしの節目を刻む。雨安居明けの祭りや、ろうそくを捧げる行事には、街中が祈りに包まれる。巨大立仏を仰ぐこの地の人々にとって、信仰は特別なものではなく、日々呼吸するように自然な営みなのだ。祈り、歌い、織り、踊る——その繰り返しの中で、ローイエットの魂は代々受け継がれてきた。ゴゴゴ、これぞ受け継がれし魂の連なりッ!

生活——この地で暮らすということ

ローイエットに暮らすとは、巨仏に見守られて生きることだ。天を指す立仏は、いつでも街を見下ろし、人々の営みを静かに見守っている。朝な夕なに手を合わせ、無事と幸福を願う——その信仰の営みは、この地の暮らしの根幹をなしている。

この地もまた、多くの若者が都会へ出稼ぎに行くイサーンの県だ。だが、彼らの心には常に故郷のもち米の香りと、モーラムの調べがある。บ้าน/bâan(バーン=故郷)——どれほど遠くへ行こうとも、必ず戻ってくる原点。ソンクラーンや正月には、故郷を目指す人々の波が国道を埋め尽くす。巨仏の足元に集い、湖畔で語らい、祭りに踊る——それがこの地の人々にとって、何よりの幸福なのだ。

暮らしの中心には、いつも米がある。乾季の終わりに田を起こし、雨季に苗を植え、乾季の初めに黄金の稲穂を刈り取る。この一年の巡りが、ローイエットの人々の時間を刻んでいる。豊作を願い、収穫に感謝し、また次の年を迎える——大地とともに生きるこの営みは、巨仏が建つはるか以前から、少しも変わっていない。天を指す仏と、足元に実る稲。その二つが、この地の暮らしを静かに支えている。信仰と農——この二本の柱があるかぎり、ローイエットの人々は、どんな時代の変化の中でも揺らぐことがないのだ。

旅の心得

ローイエットは、派手な観光県ではないかもしれぬ。だが断るッ! ここを地味な田舎と侮ることは、断固として断る。この地には、古都の誇りと、天を衝く信仰と、魂を揺さぶる音楽がある。

巨大立仏の足元に立ち、その圧倒的な高みを見上げよ。湖の島に渡り、夕日に染まる楼閣を眺めよ。そしてモーラムの本場の調べに耳を澄まし、ガイヤーンを頬張り、ソムタムの辛さに涙を流すがいい。「百一」の名に込められた古の栄光——それを胸に感じたとき、あなたの旅はまた一段深くなる。ゴゴゴ……天を指す巨仏に静かに見送られ、旅人よ、次なる県へと冒険はさらに続いていくのだッ。