ナコーンシータマラート——影絵の魂が舞う『聖なる都』
その長い名を、ゆっくりと発音してみるがいい。นครศรีธรรมราช(ná-khɔɔn-sǐi-tham-má-râat)——ナコーンシータマラート。「聖なる法(ダルマ)の栄光の都」。名からして、ただの県ではないと分かるだろう。かつて南部一帯に君臨した古の大都市、仏教が海を越えてこの地に根を張った聖地……。その誇りは、千年の時を経てなお、この土地の空気に染み込んでいるのだッ! 旅人よ、ここでは足音さえ、そっと立てるがいい。
この地の『魅力』——黄金の塔と、光と影の芝居
この県の心臓は、ワット・プラマハータート——南部で最も神聖とされる寺院だ。その境内にそびえるのは、真っ白な巨躯の頂に黄金の尖塔を戴いた大仏塔。見上げれば首が痛くなるほどの高さで、その黄金の先端は、正午の太陽の下でさえ影を落とさぬ、という不思議な言い伝えを持つ。仏塔の周りを、参拝者が布を掲げてゆっくりと巡る——その祈りの列は、千年変わらぬこの都の鼓動そのものだ。
そしてこの地こそ、南タイの魂の芸能『ナンタルン』——影絵芝居の本場である。水牛の革を透かし彫りにした人形を、白い幕の裏から灯りで照らし、語り部が一人で幾人もの声を演じ分ける。笑い、嘆き、風刺……幕に踊る影は、生きているかのように動くッ! 夜、村の広場に張られた白い幕の向こうで、光と影が繰り広げる物語は、この地の人々が千年守り抜いてきた『魂の劇場』なのだ。ここでは影を灯すその術を、村人は今も子へと受け継いでいる。
内陸には南部最高峰カオ・ルアンがそびえ、その山肌からは無数の滝が落ちる。滝を意味する言葉とともに、旅人は緑の深さに息を呑むだろう。ここでは山を ภูเขา(phuu-kǎo)と呼ぶ。
食——胃袋の戦い、激辛の本領
いよいよ、旅人の舌は『南部の本気』と対峙する。ナコーンシータマラートの料理は、容赦がない。クワクリン——挽き肉をカレーペーストで水分がなくなるまで炒め上げた一皿は、乾いた辛さが舌を焼き、汗が噴き出す。ゲーンソム(南部ではゲーンルアンとも)——鮮烈な黄色の酸っぱ辛いスープは、一口すすれば全身の細胞が目を覚ますようだ。
そして、この地の食を語るなら『カノムジーン』を外せない。米から作った素麺のような麺に、魚のカレー汁をかけ、山盛りの生野菜を添えて食らう。付け合わせの生野菜の中には、独特の匂いを放つ豆——サトー(ねじれ豆)が潜んでいる。この匂いに耐えた者だけが、南部の食の深淵を覗くことを許されるのだ。辛いは เผ็ด(phèt)、だがその先にこそ真の あร่อย(à-rɔ̀i)がある。
文化——受け継がれし魂と、金銀の細工
古都の誇りは、伝統工芸にも息づく。この地に伝わるニエロ細工——銀の器に黒い合金で精緻な文様を刻み込む技法は、かつて王室への献上品にもなった逸品だ。黒と銀のコントラストが織りなす文様は、この都の千年の美意識を今に伝えている。仏教の聖地でありながら、南部らしくイスラームの文化も混ざり合い、この地の重層的な歴史を物語る。
生活——この地で暮らすということ
ナコーンシータマラートの人々には、古都に生きる者特有の『芯の強さ』がある。派手な観光地ではないぶん、暮らしは地に足がつき、信仰と伝統が日々の背骨となっている。ゴム園と果樹園、そして海の恵み。夕暮れ、寺の鐘が鳴れば、人々は手を合わせる。千年の都に暮らすとは、こういう静かな誇りを胸に生きるということなのだ。
旅の心得
この地は観光ずれしておらず、それゆえに『本物』に出会える。まずワット・プラマハータートへ詣で、あの黄金の尖塔を見上げよ。影絵芝居ナンタルンの上演があれば、何を措いても観に行くことだ——工房を訪ねれば、革人形の彫りを間近で見せてくれることもある。そして食堂では、辛さを恐れず南部料理に挑め。ただし、辛さ控えめを頼みたければ、店主にそっと伝えておくといい。この聖なる都の味は、旅人の『覚悟』を試してくるのだから。
